そばに関する“あんな事”、“こんな事”いろんな疑問にお答えするコーナーです!
※御質問に対して個別に回答はいたしておりません。
「おそばの物知り 藤村 和夫です。どんな簡単なご質問でも、恥ずかしがらずにお問い合わせください。」
元「有楽町更科」四代目。1930年東京有楽町生まれ。そばの技術や歴史に関する研究の第1人者として定評がある。
元「有楽町更科」四代目。1930年東京有楽町生まれ。そばの技術や歴史に関する研究の第1人者として定評がある。
そばの作り方については | 「麺類杜氏職必携」 (ハート出版) |
やさしいうどんの作り方では | 「旨い手打ちうどんに挑戦」 (ハート出版) |
やさしいそばの作り方では | 「旨い手打ちそばに挑戦」 (ハート出版) |
鰹節や昆布の出汁では | 「だしの本」 (ハート出版) |
そばつゆの作り方では | 「江戸の味 そばつゆ」 (ハート出版) |
そばにまつわる疑問には | 「蕎麦なぜなぜ草紙」 (ハート出版) |
そば屋のことでは | 「蕎麦屋のしきたり」 (日本放送出版) |
年越しそばは何で食べるの?
江戸では、年越しそばは江戸末期までは食べる習慣は無かったようです。
早く云えば、その頃はそばを、庶民は毎日のように食べていたのです。
年越し蕎麦がはやりだしたのは、少なくとも1800年代からで、明治期にはさかんになりました。すると、いろいろと縁起付けがおこります。そして、1300年代に、博多の承天寺から「運そば」として、「そばがき」を食べたら翌年運がよかった、というのが一番古いようです。
私は、「金」を「金箔」に延ばすとき、その叩く台にそばこを刷り込んでおくと、金箔が切れずによく延びるから「金がきれない」。またその金箔を細かくきざんでだ時、蕎麦粉を混ぜて集めると無駄なくあつまるから「金が集まる」という説を信奉しております。
晦日蕎麦を食べないと、来年、お小遣いに不自由しますぞ!!
早く云えば、その頃はそばを、庶民は毎日のように食べていたのです。
年越し蕎麦がはやりだしたのは、少なくとも1800年代からで、明治期にはさかんになりました。すると、いろいろと縁起付けがおこります。そして、1300年代に、博多の承天寺から「運そば」として、「そばがき」を食べたら翌年運がよかった、というのが一番古いようです。
私は、「金」を「金箔」に延ばすとき、その叩く台にそばこを刷り込んでおくと、金箔が切れずによく延びるから「金がきれない」。またその金箔を細かくきざんでだ時、蕎麦粉を混ぜて集めると無駄なくあつまるから「金が集まる」という説を信奉しております。
晦日蕎麦を食べないと、来年、お小遣いに不自由しますぞ!!
討ち入りそばってなんですか。
今を去ること300年前、播州赤穂の大名、浅野内匠頭が、江戸城内、松の廊下で、吉良上野介に斬りつけ、とがめをうけて切腹し、浅野家じゃ取りつぶしになりました。
その家来の大石内蔵助以下47人の浪人が、主君の仇を打つために、本所の吉良邸に12月14日の夜中に討ち入り、上野介の首をとったので、「忠臣の鑑」として長くつたえられたのですが、その後「仮名手本忠臣蔵」という芝居になり、その中で、48人が勢揃いした場所が、両国橋詰めの楠屋十兵衛というそば屋であると、「泉岳寺書き上げ」という本に書かれていたところから、そういうことになり、有名になったのです。
ところが本当は、中の5,6人が時間つぶしにそば屋へ入ったというのが真相です。
その家来の大石内蔵助以下47人の浪人が、主君の仇を打つために、本所の吉良邸に12月14日の夜中に討ち入り、上野介の首をとったので、「忠臣の鑑」として長くつたえられたのですが、その後「仮名手本忠臣蔵」という芝居になり、その中で、48人が勢揃いした場所が、両国橋詰めの楠屋十兵衛というそば屋であると、「泉岳寺書き上げ」という本に書かれていたところから、そういうことになり、有名になったのです。
ところが本当は、中の5,6人が時間つぶしにそば屋へ入ったというのが真相です。
おいしい蕎麦、蕎麦汁ってどんなものですか。
お蕎麦についてはそれぞれのお好みでしょうが、江戸伝来のそば屋では「木鉢」の良いそばということになっております。それは、「おそばをこしらえる時に、江戸伝統の技術を手抜きしないでこしらえた」ということです。
蕎麦汁も「醤油の香りも鰹節の香りも、味醂や砂糖の甘ったるさも感じさせないで、何の味もしないで蕎麦の味を引き立てる」ことになっており、そうした材料がケチられているのではなく、たっぷりと遣いながら、そのように仕上げるのが、江戸伝来の蕎麦屋の「もりの汁」です。「出汁が効いて」いなくては最低です。
蕎麦汁も「醤油の香りも鰹節の香りも、味醂や砂糖の甘ったるさも感じさせないで、何の味もしないで蕎麦の味を引き立てる」ことになっており、そうした材料がケチられているのではなく、たっぷりと遣いながら、そのように仕上げるのが、江戸伝来の蕎麦屋の「もりの汁」です。「出汁が効いて」いなくては最低です。
「夏の蕎麦は犬も喰わない」という言葉を聞いた事がありますがどういう意味でしょうか?
昔は、梅雨を越えると、玄蕎麦が痛み、見た目も赤く、食べても香りもなかったので、そういったのでしょう。しかし、それでもそば屋はそういう、しかも繋げにくい蕎麦粉で商売しなければならなかったので、新蕎麦を業者もお客もよろこんだのです。
1mmほどの厚削りを使ってだしをとるときに弱火でゆっくり煮出していくのと、強火でぼこぼこと煮出すのではどちらがいいのでしょうか?時間をかければかけるほどだしは出るのでしょうか?
1ミリ程度の厚削りでしたら、なるべく深い寸胴の容器を使って、鰹節の葉が、時々ヒラヒラと舞い上がるくらいの火加減で、1時間以上煮つめなくてはダシはでません。
強火では、すぐに湯が無くなってしまいます。火加減によっては、2時間くらい煮つめ続けても、ダシはでつづけます。鰹節が薄くなればなる程、詰め時間は短くなります。
0.2ミリ程度の薄削りですと、40分くらいから、ダシ気が減少するようです。しかし、1ミリ以上の厚削りの鰹節でダシを引くには、技術がいります。
簡単な方法ですと、「圧力釜(鍋)」にその容量の半分の湯を入れ、その湯の量、1リットルあたり100グラムの厚削りの鰹節を入れ、圧力をかけて45分加熱すると(あまり蒸気が噴き出さない程度の温度で)、なかなか良いダシが取れるのは、池之端藪の堀田さんが実験ずみです。だだし、たくさんの量のダシは取れません。
強火では、すぐに湯が無くなってしまいます。火加減によっては、2時間くらい煮つめ続けても、ダシはでつづけます。鰹節が薄くなればなる程、詰め時間は短くなります。
0.2ミリ程度の薄削りですと、40分くらいから、ダシ気が減少するようです。しかし、1ミリ以上の厚削りの鰹節でダシを引くには、技術がいります。
簡単な方法ですと、「圧力釜(鍋)」にその容量の半分の湯を入れ、その湯の量、1リットルあたり100グラムの厚削りの鰹節を入れ、圧力をかけて45分加熱すると(あまり蒸気が噴き出さない程度の温度で)、なかなか良いダシが取れるのは、池之端藪の堀田さんが実験ずみです。だだし、たくさんの量のダシは取れません。