この写真は、当店が神楽坂で営業していた大正7年当時の写真です。当時の屋号は看板に書いてある通り「永坂更科牛込支店」、半纏の胸元には「牛込更科」と染め抜かれています。
4人のうち、一番左で割烹着を着ているのが私の曽祖父、初代・赤塚善次郎です。そして一番右に写るのは「亀さん」。負けず嫌いの職人で、この写真では129人前を頭に載せています。上の方は「箱そば」といって6人目のそばが詰められています。神楽坂界隈のお座敷に出前をするのに、せいろでは座敷が濡れてしまうから箱に詰めたそうです。
当時はまだ高価だった自転車、頭上高く積み上げられたそば、近所でもそれはそれは評判だったと聞いています。